Cacao Chocolate

チョコレートの歴史とは?カカオの起源についても解説

チョコレートの歴史についてご存知の方は少ないでしょう。チョコレートの原材料であるカカオ豆は、紀元前3500年頃から利用されていたといわれています。カカオ豆は、通貨として利用されていた時代もあります。現在では、固形のチョコレートが一般的ですが、昔のチョコレートは飲み物でした。本記事では、チョコレートの歴史について詳しく紹介します。

カカオの起源について

チョコレートの主原料であるカカオ豆は、5000年以上もの歴史があります。チョコレートは、紀元前3500年ほど前から、エクアドルで食用として摂取されていたそうです。

紀元前2000年前後に、アメリカでカカオ豆の栽培が行われ始めました。現在のカカオ豆のイメージはチョコレートですが、14世紀に建国されたアステカ王国では、通貨としても扱われてきました。通貨としても価値のあるカカオを味わえたのは、国王や戦士などの一部の人だけだったといわれています。

当時のチョコレートは固形のものは一切なく、ドリンクタイプのものでした。カカオ豆をすりつぶし、水やとうもろこし、唐辛子などを混ぜて飲んでいたそうです。砂糖の存在もなかったため、カカオ本来の苦味や酸味が際立った味わいだったと考えられます。

通貨としての価値があるカカオは、「神様の食べ物」として捧げ物としても利用されていました。

チョコレートの語源について

チョコレートの語源は、ナワトル語の「ショコラトル」からきているといわれています。ナワトル語は、古代アステカ民族の言語です。チョコレートの始まりはドリンクだったため、苦いという意味の「xocolli」と水という意味の「atl」からショコラトルとなったようです。

ヨーロッパではチョコレートの文化が長く、チョコレートのことをフランスでは「ショコラ」、ドイツでは「ショコラーデ」、オランダでは「チョコラート」と呼んでいます。1715年には、日本にもチョコレートが入ってきており、その際は「ショクラーツ」という呼び名だったそうです。

チョコレートが広がった歴史

16世紀にイタリア人探検家のクリストファー・コロンブスが、ヨーロッパ人として初めてココア豆に出会いました。航海中にマヤ族の貿易船に遭遇し、カカオ豆を大切に扱っている姿を見かけ、その価値を知ります。

しかし、コロンブスはインドへの航路探索に夢中だったため、カカオ豆には興味がなかったようです。そのため、ヨーロッパにカカオが初めて持ち込まれたのは、イタリアではなくスペインでした。1521年にエルナン・コルテスが、アステカ帝国を征服します。コルテスは皇帝が愛用しているチョコレートを目の当たりにし、スペイン王のカルロス1世に献上します。

コルテスが持ち帰ったチョコレートは、スペインの王侯貴族に大変気に入られました。さまざまな工夫を施し、疲労回復や滋養強壮などの薬として約100年ほど王侯貴族が愛飲し、独占していました。

その後、ポルトガルはスペインと一時的に統一されたことによりチョコレートの文化が入ってきます。そこからイタリアへと広がり、世界へと広がっていきました。

飲み物から食べ物への変化

飲料として親しまれていたチョコレートは、時代の移り変わりとともに食べ物へと変わっていきます。チョコレート飲料は、油脂であるココアバターの含有量が多かったため、水やミルクと分離してしまいます。さらにカカオ豆の発酵過程で、酸味が強くなってしまうため、暖かい状態で飲むと、酸独特の香りが鼻についていました。課題の多かったカカオ豆ですが、オランダ人のC.Jバンホーテンがカカオ豆の課題を解決するための発明をします。その結果、現在でも世界で愛されているココアが誕生しました。

酸味の強いチョコレート飲料を、アルカリで中和させるダッチプレス製法を開発します。酸味や苦味を抑えられ、まろやかさや色に深みが出るようになります。

ココアバターの含有量の多さについての問題も、圧搾機の開発で解決しました。カカオ豆には約55%のココアバターが含まれています。しかし、圧搾機を使用するとカカオバターを28%まで下げることが可能です。ココアバター以外のものをパウダー状にしたものが、ココアパウダーです。ココアパウダーの開発により水に溶けにくかったものから、混ざりやすいものへと変わりました。

イギリス人のジョセフ・フライは菓子職人であり、1847年にカカオ豆、ココアバター、砂糖から、イーティングチョコレートを発明しました。ココアを製造する時に出るココアバターを利用してチョコレートの固形化に成功します。イーティングチョコレートは、ダークチョコレートのような味わいがあります。

現在のチョコレートよりも味や風味は劣りますが、常温で長期保存ができるため、冷蔵庫のなかった当時は人気を集めました。

1867年に粉ミルクの製造をスイスの科学者であるアンディ・ネスレが成功させます。その後スイス人のダニエル・ペーターが発明したのが、チョコレートの定番であるミルクチョコレートです。

イーティングチョコレートに、粉ミルクを加えることでミルクチョコレートを作り出しました。今までのチョコレートは、水分量の多いミルクと油分の多いココアバターの相性が悪かったため、ミルクチョコレートを作れませんでした。

粉ミルクの登場により、液状のチョコレートと粉ミルクを混ぜ合わせ、冷やして固める方法でミルクチョコレートの製造が成功しました。クリーミーでまろやかな味わいのミルクチョコレートは、現在のチョコレートの基盤となります。

スイス人のロドルフ・リンツは、1879年にチョコレートの製造で欠かせないコンチェという機械を発明しました。コンチェとは、ココアバターを均一に行き渡らせるように拡散させる機械です。コンチェが発明された結果、ココアバターのざらつきを感じさせない、滑らかで口当たりの良いチョコレートが実現しました。コンチェの長時間の拡散処理がチョコレートの水分を蒸発させ、課題であった流動性も改善されました。

日本にチョコレートが広がった歴史

日本に初めてチョコレートが入ってきたのは1797年です。長崎県丸山町の「寄合町諸事書上控帳」に、「しょくらあと六つ」と遊女の貰い品目録に記載がありました。しょくらあとはチョコレートのことです。

この頃は、鎖国政策のため対外貿易は長崎の出島でのみ行われていました。そのため、オランダ人からの貰い物であったと考えられています。

日本にチョコレートが伝わった公的記録は、1873年の明治時代です。岩倉具視が欧米視察時にフランスで見学したチョコレート工場について、欧米視察の記録の中に残しています。

大正時代に入ると、日本の有名菓子メーカーである森永製菓や明治製菓が創業されます。これにより、チョコレートの大量生産が本格化しました。しかし、当時はまだチョコレートは高級品でした。

昭和に入るとさまざまなチョコレートメーカーが参入し始め、チョコレートが市場に流通していきます。それによりチョコレートの需要は高まりました。生産体制の拡大だけでなく、積極的な広告活動や海外進出なども行われるようになります。

しかし、1937年には戦争の影響でカカオ豆の輸入が制限され、戦争が開始されると制限はより厳しいものとなります。1940~1950年はカカオ豆の輸入が停止してしまい、代用品を使用したさまざまなチョコレートの開発が行われました。カカオ豆の輸入が再開されたのは1950年頃です。1960年には、カカオ豆の輸入自由化が進んだことで本格的にチョコレート製造が行われて消費量も急増していきました。

チョコレートの歴史について知ろう

チョコレートの歴史は、数千年にも及ぶものです。当初は、苦くて酸っぱいドリンクとして王侯貴族に愛飲されていました。カカオは、通貨に使用されるほどの価値があり、「神様の食べ物」といわれるほどでした。

私たちが当たり前に食べている甘くておいしいチョコレートになるまでには、さまざま人
の努力があります。チョコレートを食べる際は、一緒にチョコレートの歴史も思い出すと、より深くチョコレートを味わえるでしょう。

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